第二楽章




 早足でビルのロビーを通り抜ける。いつもは人が少ないようだが、竜姫が此処を訪れる平日の夕方や土曜の午後は、ほどほどに仲間の能力者の姿を見ることが出来る。今日も、十階のインフォメーション・フロアに上がる為に乗ったエレベーターで、二人の能力者と乗り合わせた。

 表のエレベーターから上に向かうのは、竜姫のような一般の能力者だけだ。内勤のオペレーターや、協会の中でも特殊な立場にある者は、ほとんどが裏の正面ロビーから入る。

 ポーンと軽妙な音がして、エレベーターの扉が開く。目の前に広がるのは、銀行のロビーにも似たオペレーション・フロアだ。さらなる上階はラウンジであり、そこは情報交換の場であって、また待ち合わせ場所にもなっている。竜姫の待ち合わせ相手もこの場所に居るはずだ。顔を上げてラウンジを見てみると、こちらに気付いた彼が大階段を下りようとするのが見えた。

「……あ」

 周囲から思わず声があがる。竜姫が息を呑む。彼。一之瀬竜姫のパートナーである暁豊馬は、足を滑らせたか、それとももつれさせたか、つまり、階段の一番上から下まで、それはそれは見事に転がり落ちたのだった。



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「落ちたよ」

「落ちたわね」

「落としたんでしょうが」

 三姉妹の中でも常識派である次女・唯が嘆息混じり呟く。こんなところで、しかも人の多い土曜の午後にこんなイタズラをして、誰かに見咎められないはずが無い。もちろん姉妹の行動を止めなかった唯自身にも非はあるのだが。

「でもさぁ、アタシの言った通り、待ち合わせ相手は女の子だったヨ!!」

 親指を立てて放つ故の言葉に、悠と唯はそろって首を伸ばして階下を覗き込む。転げ落ちた少年の隣には、呆れた様子で立つ少女の姿があった。

 都内でも有名な私立校の制服姿の彼女は、それなりのお嬢様なのだろう。一方、先ほど転がり落ちた、もとい落とした少年は、けして貧弱では無いが、どこかやぼったく見える。カップルとしては不釣合いであるかもしれないが、しかし、もしかしたら凄腕の能力者なのかもしれない。

「でも、それって確率的には二分の一でなくて?」

「えー?女の子とオバサンは違うじゃん」

「別に年代を特定しろって話じゃ……」

「なぁにしとるかっ、そこの小娘どもぉっ!!」

 背後から突然かけられた叱声に、悠・唯・故の三姉妹は飛び上がって驚いた。慌てて振り返ってみると、そこには袈裟をまとった老人が一人。年は八十をゆうに超えるだろうに、腰もまっすぐで、かくしゃくとしている。頭髪が無いのは、年のせいなのか剃髪しているせいなのか、微妙なところだ。

 ぐるりと首を大げさに動かし、眼光鋭く三姉妹をねめつける。仁王立ちしたこの男性、名を光久和尚と言い、協会の中でも有名人である。若者を捕まえてお説教をするのが大好きらしい。もはや生きがいの領域だと裏でささやかれているのを当人は知らないようだが。

「そこいらの凡人は誤魔化せても、このワシの目ぇは誤魔化せん!!しっかり見とったからなぁ!!」

 姉妹だけでなく、さりげなく周囲の人間にも喧嘩を売っている。本人は悪気が無いというか、単に気付いていないのだろう。唾を飛ばしそうな光久の勢いに、三人は思わず一歩退く。退いたら、足に椅子がぶつかった。

「ってゆーかそれって、見てたけど止めなかったってコトじゃん……?」

 故の憮然とした言葉は、光久のお説教にかき消され、本人の耳には届かなかったようだ。聞いたのは、隣に居た悠と唯の二人だけ。



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「本当に、トーマは信じられないことをしてくれるのですね。今日ばかりはワタクシも呆れてしまいましたわ」

 こめかみに青筋、は立っていないが、それでも竜姫は言葉の端々に棘を込めて呟いた。もちろん、相手に聞かせるための呟きだ。竜姫は汗をかいたグラスを小さい手で包み持ち、壁際に寄せられたパイプ椅子に、背筋をピンと伸ばして座っている。

 そんな竜姫の様子を横目でうかがいつつ、豊馬は湿布の貼られた額をそっとさすった。良く出来た舞台演出の如く、大回転をやってのけた豊馬。運が悪ければ大怪我をしていただろうに、綺麗に回転を決めたおかげか、負ったのは額のたんこぶと数箇所のアザだけ。メディカル・センターの医師からは「運が良かったねぇ」との言葉を賜った。

「滑ったんだから仕方ないだろ。誰が好き好んであんなトコから落ちるってんだよ」

「トーマならやりかねないと常々思っていました」

 少しは心配する素振りを見せてみろ、そんなことを言える度胸も無く。豊馬は椅子の上で膝を抱えて体育座りをした。竜姫からは軽く睨まれたが、それは気付かないフリをさせてもらう。厳しい祖父の前でこんなことをしたら、即座に鉄拳が飛んでくるのだから、それと比べればどうということはない。

 そんなことをしていると、部屋の奥から細長い袋と竹矢を抱えた中山が姿を見せる。足元の木箱やら工具を器用に避けながら――それも当然だ、ここは彼のテリトリーなのだから――二人の元へやってきた。

「二人とも、待たせてすまないね。これが暁君に頼まれてたモノなんだけど、一応確認してくれるかい?」

 そう言われ、豊馬は椅子の上から足を下ろして立ち上がった。年長者に対する礼儀は心得ている。

 中山の手から、茄紺色の細長い弓袋を受け取る。紐を解いて取り出したのは一張の竹弓。手に馴染むのは、なにも長年使っているからという理由だけではない。弓を取り巻く「氣」が、豊馬の「氣」としっくり馴染んで一体になっている。

「おー、すげー……」

 弦を引き、離す。凛と響く音が耳に心地よい。矢をつがえていない弓の弦を鳴らす弦打は、源氏物語にも見られる日本古来の魔除けである。

「下の弓道場で引いてきてもいい!?」

「一時間くらいで戻ってきてくれるかい? ちょっと話があるんで」

「はーい。じゃ、一之瀬、ちょっと行ってくるわ」

「ご存分に」

 突き放すような竜姫の言い方も、全く気にならない。中山の工房を飛び出し、弓を抱きかかえた豊馬はまっしぐらに弓道場へと駆けて行った。



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 バタバタと慌ただしく去っていく豊馬を、竜姫は溜息混じりに見送る。傍から見ても豊馬のウキウキ気分は嫌になるほど伝わってきた。

「よろしいのですか?」

「あの状態じゃあ、話をしても右から左に抜けていくだけだろうからねぇ」

 苦笑する中山の意見はもっともである。どちらかと言えばやる気の無いように見える豊馬だが、弓のこととなると話は変わってくる。目の色が違ってくるし、時間さえあれば協会の弓道場で弓を引いている。実家が弓道場なのだからそこでやれば良いものを、それを嫌がる豊馬が竜姫には良くわからない。

「ところで、前に調整した数珠はどんな感じ? 問題は無いかい?」

 尋ねられ、竜姫は中山に向き直る。そして空いたグラスをテーブルの上に置き、制服のカフスボタンを外した。

「問題どころか、とても好調です。まだ馴染むには時間がかかると思いますけれど、ほとんど新しく作り直したようなものですもの、それは仕方ありませんわ」

 左手首に巻かれた数珠は、普通のものとは少々様相が異なる。百八の珠の材質は七宝、金・銀・瑠璃・玻璃・しゃこ・珊瑚・瑪瑙の七種。前世・現世・来世を表すという三連の作りのそれは、数珠というよりもネックレスの形態に近い。

「では、ワタクシも行ってトーマの様子を見てきますわ」

「そうかい?此処に居てくれても構わないよ。まぁ、お茶くらいしか出せないけれど」

「お仕事の話なのでしょう?あの調子では、一時間経ってもトーマは帰ってこないでしょうから」

 渋々といった様子で竜姫は立ち上がった。豊馬が一緒でなければ、仕事の依頼を受けることも出来ない。協会の規定で、準会員と一定の学生会員は、単独での仕事を許されていないのだ。「動くときは二人以上」というパートナー制度が存在し、学生会員である竜姫も豊馬もこの制度の適用を受けている。

「それでは、後程」

 優雅に一礼し、竜姫は工房を後にした。



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「近頃の若いもんは、まぁず礼儀がなっとらん。それに何じゃ、年頃の若い娘が、そんなに肌を露出するとは。はしたないことこの上ない!!」

 故が唇を尖らせて、不快の意を表す。言われるほど、彼女の服装の露出は激しくない。短めの上着とローウエストのスカートなのでチラチラと背中とお腹が見えることは事実だが。

「最近の協会の乱れは放っておけん。ワシがあと少し若けりゃ、先頭に立って厳しく指導してやれるものを。いやはや、情け無い。無論、一番情けないのはお前達じゃ!!」

 煙草に火を点け、脇に煙を吐き出す悠。まず未成年である悠のこの行為に説教をするべきであるのだが、自分に酔っているとしか言いようの無い光久は気付いていない。悠は天井を仰いだ。如何にしてこの状況から脱却すべきか。

「こんな所で油を売っとる暇があるなら、修行をせんか、修行を。ワシが若いころはなぁ、毎日毎日、寸暇を惜しんで己を磨いたものよ!!」

「……磨いたのは手前の頭だろうが……」

 ボソリと、唯が何言か呟いた。瞬間、悠と故の顔色が変わる。半ば俯いた状態の唯の表情はわからなかったが、姉妹である悠と故には、何が起こるのか手に取るようにわかる。

「……故、ヤっちゃえ」

 唯の言葉尻を故の耳が捉える方が、若干早かったかもしれない。一つ年上の姉に腕を取られた故は、思わず身体を震わせて背筋を伸ばした。汗が背中を流れていったと思ったのは、はたして気のせいだったのだろうか。

「え、あ、唯姉、それはちょっと」

「ヤれよ」

 キレた唯に歯向かうのは無謀だ。言葉使いも変わっている。視界の隅に見えたもう一人の姉、悠も、心なしか顔を引きつらせて何度も頷いていた。

 姉達の意思を確認した故は、両手の指を合わせて腰と同じくらいの高さで三角を作る。そして息を吸い込み、それに言葉を乗せて吐き出した。

「風花空葬、それは虚ろの流れに似て――!!」

 刹那、「何か」が故が作った三角形の「門」を通り抜けていく。後に残ったのは、何が何だか良くわからないといった表情の光久だった。

「ワシは、何の話をしとったかな?」

 アゴに手を当てて悩みこむ光久に見つからないよう、三姉妹はこっそりと逃げ出した。こっそりと言うよりも、悠と故が両側から唯を抱えて逃げ出したと言うのが正しい。

「神は天にあり、世は全てこともなし――」

 最後に呟かれた有名な文句は、唯の呪文だった。その力ある言葉は、「滑りやすくなった階段」の効果を打ち消していった。

 彼女達はいたずら魔女三姉妹。異端な能力者達。その本質は、言霊遣いへと帰着する。

 翌週、お説教の為だけに彼女達が協会から呼び出しをくらったのは、また別のお話。






■工房:霊具職人達の個別ブースで研究室のようなもの。
■弓道場:屋内なのであまり広くはない。弓道場に限らず、協会本部ビルには様々な道場やスポーツジムがある。協会員なら使用は原則無料。シャワールーム完備。
■パートナー制度:準会員・一定の学生会員に対し、二人組以上での活動を義務付ける制度。相手は準会員・学生会員に限らない。長年にわたってパートナーを組む場合もあれば、一件の依頼に限る短期のパートナーもある。ラウンジの掲示板でパートナーを募集する事が出来る。
■お説教:あまりに目に余る行動を取っていると、協会から召喚状が送られてくる。会長直々のお叱りがあり、累積ポイントによって罰ゲームがあるらしい。


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